本 速水健朗 『ラーメンと愛国』




・終戦後、日本は復興資金の借入のためにアメリカから大量の小麦を購入したが、
 米食の日本では使い道がない。そこでアメリカは莫大な資金投入と各省庁に協力させて
 小麦食品を普及させるキャンペーンを行った。

・戦前の日本は、零戦などに代表される用に、研究や技術ではアメリカに遅れを
 取っていたわけではなかったが、技術が戦争の勝敗の決め手とはならず、
 アメリカの圧倒的な生産力と物量に屈した。

・日本のものづくりが職人の作る工芸品のような一点豪華主義だとすると、
 アメリカは人間工学に基いて、非熟練工でも生産ラインに加われるような
 施設の機械化、分業化が徹底された大量生産主義と言える。

・我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族であり、ラーメンを愛する
 同じ日本人であるという共通の意識を持っている。つまり、チキンラーメンの
 CMによって「ラーメン」という「共通語」「国語」が生まれて以降、日本人は
 ラーメンを通じて国民意識を形成しているのだ。

・田中角栄への批判に、日本列島のファスト風土化(画一化)を進めて地方の独自性を
 失わせたというのがある。同時に、大都市圏への人口過密を止め地方の人口増を促したこと、
 高度経済成長期が終わり低成長時代が到来した時、大規模な財政出動を行い、地方に
 公共事業を通して雇用を生み出した。

・(ご当地ラーメンは)観光化のかけ声とともにあるとき突然変化したものであって、
 「地方の個性や特性」を反映させたものではないということを指摘してきた。 
 むしろ戦後の日本において、地方が個性を失い、固有の風土が消え去り、ファスト風土化する中、
 観光資源として捏造されていったのがご当地ラーメンであるというのが筆者の主張である。
 (ただし筆者はそれを非難しているわけではない)

・1990年代前半、ガストによって始められた外食産業の低価格競争は、非チェーン店系の
 飲食店を次々と駆逐していったが、ラーメンは作り手の創意工夫による高付加価値化と
 他店との差別化によってむしろ値段を上げることに成功した。

・本書が見てきたようなラーメンの右傾化の流れを、旧来のナショナリズムへのそれと
 同様の態度で批判してみよう。彼らのユニフォームである作務衣とは、1990年代に
 生まれたものに過ぎない。それに、そもそもラーメンなんて、日本の伝統と関係がない。
 
 しかし、それはラーメンを支持する者たち、もしくはラーメン業界の人間たちを批判する
 やり口としては無効である。ラーメン的愛国心の大本が、ニセモノであること、捏造された
 伝統であることは、問題ではないのだ。人々は、それを自明のこととして、「伝統の捏造」を、
 リアリティショー的、遊戯的に行なっているだけなのである。

・固有の風土や特産物を反映するものだとする「ご当地ラーメン」という物語、
 大量生産ではない職人の匠が再評価されるラーメン職人の世界、復活した
 近代以前の風習であるのれん分け制度等々といった、日本社会が一旦は捨てたはずの
 さまざまな伝統や制度が、再びラーメンの世界に浮上してきているように見える。

・ラーメンにナショナリズム、パトリオティズム(郷土愛)、地産地消、スローフードといった
 思想が入り込んでくるのも、一度壊れてしまった、流れが途切れてしまった歴史や
 伝統を、再び取り戻そうという意思なのだろう。


ラーメン屋の店主が何故ナショナリズムに傾倒していくかを
戦後日本の歴史を見ながら検証していく本。

世界を画一化しようとするグローバル企業の帝国主義への
抵抗が自分たちの歴史や伝統を取り戻す運動と結びついて
ナショナリズムに発展していく。
しかしそれは表層的であり、かっこ良さやノリが重視されているのが
特徴だ。


右傾化に見えるナショナリズムが実は左翼的なプロテストも
内包しているというのが興味深い。


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[ 2013/05/20 22:08 ] 映画・ドラマ | TB(0) | CM(0)

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