本 阿古真里 『昭和の洋食 平成のカフェ飯: 家庭料理の80年』




・(主婦の家事労働は)水道やガスが通り、食材が手軽に買えるようになり、家電が入って、
 手伝うべき家業がなくなった。家族の人数も減った。
 
 時間にゆとりができて、働きに出る主婦がふえた。一方で、子どもを抱えていたり、
 量は減っても細切れに時間をとられる家事との両立ができず家に留まった主婦も多かった。
 妻が専業主婦であることを男の甲斐性とする企業もあったし、女性を雇いたがらない企業も
 多かったからだ。

 ヒマができると罪悪感が生まれる。働いていない理由をつけるために、彼女たちは主婦業の
 プロフェッショナルになろうとした。プロ意識を持って取り組んだ家事の一つが、成果が
 表れやすい料理だった。

・この時代(高度成長期)に、洋食・中華が受け入れられ浸透していったのは、異なる食文化を
 背景にもつ夫婦が、たくさん生まれたからである。和食の味つけやだしのとり方については、
 夫婦の好みが違っても、洋食・中華はあまり食べたことがない。新しい味は、出身の違う夫婦に
 好都合だった。急速な都市化は、新しい食文化を育てたのである。

・昭和前半に生まれた女性たちは戦争で母親を亡くしたり、都会に出たりしたせいで料理を
 習うことができなかった。彼女らの助けとなったのが『きょうの料理』や『主婦の友』といった
 料理メディアである。

・昭和後期、ホームパーティ用の料理を提案する料理本が人気を得た。家族は凝った料理を
 作ったとしても普段と変わらぬ反応だろう。たまには「おいしい」「すてき」と褒めてもらいたい。
 だから主婦仲間を相手にホームパーティを催した。

・豊かになった主婦たちは、その豊かさゆえに自分の役割を見失った。
 人は、人の役に立っている、自分が成長していると思えたときに、生きる手ごたえを感じる。
 誰かに守られて安定した生活の中に手ごたえはない。経済的に恵まれている、ということは
 助け合う必要がない、ということにもつながる。

・何より視聴者にショックを与えたのは、子どもが朝食をとる時間に家にいるのに、
 そばにいてやらない家族が存在することだった。しかし、昔から家族はそろって食卓に
 ついたのだろうか。朝から農作業に出る夫婦、家の商売に忙しく交替で食事をする親もいる。
 しかし、そういう家にだんらんがなかったとはかぎらない。

 昔、子どもは働く家族の一員だった。家族は総動員で手作業の家事をこなし、家業に忙しかった。
 だんらんは労働の中にあった。しかし、外で働くことが仕事となり、家事はらくになって、家族が
 家族として一緒にいられる場所は食卓になった。だからこそ、食卓に家族がそろわない現実を知り、
 人々は動揺したのである。

・小林カツ代が活躍しはじめた80年代、主婦雑誌は売れなくなってきていた。四大婦人総合誌と
 言われた雑誌の三誌が、80年代後半から90年代初めにかけて、相次いで廃刊となった。女性が
 求めるようになったのは、小林が提案するような、手間をかけずにできるおいしい料理の作り方である。
 
・本当はちゃんと手作りしている、と強調した小林カツ代に対して、栗原はるみは、手がかかっているように
 見えるけど、実は簡単なんですよ、と面倒がる読者に呼びかける。「私は主婦ではない」と
 主張した小林と、「私は主婦です」と話す栗原。すべてにおいて、ベクトルが逆なのだ。

・何しろ、母と娘の確執問題は長らく日本ではタブーだった。家事・育児・介護のすべてを引き受けてきた
 母親の負担は、無償の愛で解消されることになっていた。家庭内の労働を母親任せにしてきた人々は、
 母と娘の間にもわだかまりや憎しみが存在する現実を、認めるわけにはいかなかったのだ。

・幸せな家族の形は決まっていて、例外はみな不幸と思われるようになった。
 形が整った家族は、幸せでなければならなかった。子どもは必ず実の母親に愛されなければならない。
 人が自分らしく生きるより、世間が安心する場所に納まることを期待する。ときに強制する。
 『八日目の蟬』に描かれたのは、人を不幸にするそういう社会である。
 (あるべき家族像に振り回され、自分を見失う)

・結婚とは、夫婦が新しい生活を築いていくことだ。違う環境で育った夫婦が、好みをすり合わせながら
 新しい味をつくっていく。それは、夫婦が夫婦になっていくプロセスでもある。
 (娘に自分の作った料理を持ち帰らせるのが)その機会を奪っていることに母親は無自覚である。

・それどころか、娘の依存を歓迎しているフシすらある。実はいつまでも世話を焼き続けて、
 母親の役割を手放したくないのである。

・献立を立てて料理をするということは、何を食べたいか、食べさせたいかという欲求に
 能動的に なることから始まる。心からおいしいと思って食べ、家族が喜ぶ顔を見る。
 欲求を満たせば幸せな 気分になるはずだ。彼女たちは自分の欲求も知ろうともしていない。
 情報に振り回され、家事や子育てをわずらわしそうに語る彼女たちは、幸せそうに見えない。

・おばあちゃんを連想させるラインナップが、果たして若者に好まれるかどうかは分からない。
 それよりも、NHKが家庭で料理が伝承されないことを前提にし始めたことのほうが、事態の切実さを
 表している。メディアが伝えなければ、日本人が何世代にもわたって食べ慣れてきた和食に
 縁がないまま歳を重ねる人もいるかもしれない時代になったのである。
 (NHK『きょうの料理ビギナーズ』に関して)


料理を扱うメディアを通して、昭和以降の日本人の食生活を見ていく。

専業主婦の母親のようにはなりたくないとキャリアアップを目指す娘が
結局母親を頼り、母親も頼られて満更でもないという、ここでも母娘問題に辿り着く。

家族一緒に食卓を囲むことが幸せではないのに固執し、あるべき家族像に振り回されて
自分を見失う本末転倒ぶりを指摘しながら、家族に食事を作らないことをけしからんと言う。
しかしいろんな家族のあり方があっていいと、多様性を認める結論に至ったりしていて
混乱させられる。


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[ 2013/06/20 22:20 ] 本・マンガ | TB(0) | CM(0)

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